座布団から車椅子へ、それでも落語を続けたい!
気っぷのいい語り口で将来を嘱望されていた林家かん平が、脳溢血で倒れたのは、1990年の10月、師匠林家三平(先代)の追善興行の打ち上げの夜でした。症状はかなり重くて、右半身不随と落語家の命とも言える言語に障がいが残りました。

リハビリ、母の介護、そして新作落語への挑戦!
3年に及ぶ厳しいリハビリの入院生活を繰り返し、高座に復帰します。
元気な時のような滑らかな口調の落語は出来なくなっていましたが、好きな古典落語はそれなりに味のある喋り口調で演じていました。
しかし25年の歳月は、いくらリハビリに励んでいても体力、気力の衰えは隠しようがなく、高座も座布団から車椅子に変わり、得意としていた古典落語も、思うように喋れなくなってきていました。
なんとか噺家を続けたい…
そんなある日、朝のテレビドラマを見ていたかん平は劇中の主人公が言った台詞に強く胸を打たれます。それは…
頑張っていれば、きっと神様がご褒美をくれる
という言葉でした。
以来、落ち込んで心が折れそうになった時、いつもこの言葉を思い浮かべるようにしました。
そして、かん平は一念発起し、得意の古典落語から新作落語に挑戦してみようと決意します。
老いと病いという現実に立ち向かいながら、それがどんなにハードルが高くても頑張ろうと。
やがて、その頑張りが彼の生きがいになります。
かん平は日々の充実と明日への希望を持てたことを実感します。
一年に渡る奮闘の日々を追った魂のドキュメンタリー
この作品は、車椅子の落語家林家かん平が体験する過酷なリハビリ生活や同居する母の介護、さらに仲間たちとの暖かいふれあいの中で、創作落語を作り、高座で演じるまでの日々を一年に渡って撮影したものです。
その生き様を通して同じ障がいを持つ人はもちろんのこと、多くの人々に感動と生きる勇気を伝えたいというのが願いです。
林家かん平について
林家かん平(本名:渋谷一男)略歴
1949年9月9日 | 長崎県高島町に生まれる |
1955年4月 | 神奈川県厚木市に転居 |
1967年3月 | 高校卒業後、楽器会社、書店員などをしながら寄席通いをする |
1972年5月 | 七代目橘家圓蔵に入門。 前座名は橘家六蔵。 |
1977年 | 二ツ目昇進 |
1980年5月 | 橘家圓蔵死去。 林家三平の弟子になるが、同年9月死去。 林家こん平の弟子となる。 |
1985年6月 | 真打昇進試験に合格 |
1985年9月 | 真打披露、初代林家かん平を名乗る |
1990年10月31日 | 脳溢血で倒れる |
1991年9月 | 「林家三平追善興行」にて高座に復帰 |
1993年 | 3年の「闘病入院生活」を終え母と暮らすようになる |
1994年5月 | 学生時代の仲間が「林家かん平を励ます会」を開催。 以後「林間楽語会」と名を変え今日まで続く |
2015年12月 | 第42回「林間楽語会」開催 |
