ジョイサイド(Joyside)
ジョイサイドは、21世紀初頭の中国で最も影響力のあるロックバンドの一つである。
2001年、辺遠(ビエン・ユエン)、劉昊(リウ・ハオ)、辛爽(シン・シュアン)によって北京で結成された。
2002年、日本人ギタリストの中野陽(ナカノ・アキラ)とドラマーの范博(ファン・ボー)が加入し、初期のバンドは70年代イギリスのパンクロックに強く影響を受けていた。
2003年、ジョイサイドは「ミディ・ミュージック・フェスティバル」で鮮烈なデビューを果たし、メディアから「中国のセックス・ピストルズ誕生」と評された。
翌年、摩登天空(モダンスカイ)からデビューアルバム『Drunk is Beautiful』をリリース。
挑発的すぎる宣伝コピーが大きな物議を醸した。
2004年、ギタリストの辛爽が復帰し、バンドのサウンドはパンクからガレージロックへと進化。
2006年、辛爽と范博が脱退し、新たにギタリスト劉虹位(リウ・ホンウェイ)とドラマー関錚(グアン・ジョン)が加入。
彼らは辺遠、劉昊と共にジョイサイドの「黄金の4人編成」を形成し、音楽性もさらに発展してギターベースのサイケデリックロックへと移行した。
同年、アメリカの映画監督ケヴィン・フリッツ(Kevin Fritz)によるドキュメンタリー映画『Wasted Orient』が北米で公開された。
2007年、代表作『Booze at Neptune’s Dawn』が中国とヨーロッパで同時リリースされ、
同年、ドイツのFly Fast社制作によるドキュメンタリー『Beijing Bubbles』がヨーロッパで上映された。
その後、ジョイサイドは初のヨーロッパツアーを開始し、イギリス・フランス・ドイツなどでライブを行った。
2008年、中国ツアーの終盤でメンバー間の激しい衝突が起こり、バンドは活動の無期限停止を発表。
2009年、中野陽が復帰し、9月12日に北京「Mao Livehouse」で解散ライブを開催。
その後、契約の関係で再びヨーロッパツアーを行い、10月13日オーストリアで事実上最後の公演を行った。
北京に帰国後、ジョイサイドは正式に解散を宣言した。
2010年初め、ラストアルバム『Your City is a desert to me』(中国版は『Joyside』)が中国とヨーロッパで同時に発売された。
中国ロック史における華麗なる絶唱となった。
解散後、辺遠と関錚は音楽活動を続け、劉昊は伝説的なライブハウス「SCHOOL」を創設。
2024年には東京にもSCHOOLの支店をオープンした。
劉虹位は農業プロジェクトに関わり、他のメンバーもそれぞれの道を歩んだ。
その中でも辛爽は、ドラマ『隠秘の角落(日本版タイトル:ゴールド・ボーイ)』や『漫長の季節』の監督として中国で最も注目される映画監督の一人となった。
2019年4月1日、解散から10年を経て再結成を発表。
新メンバーとしてキーボードの陸成(ルー・チョン)とギタリストの于明垚(ユ・ミンヤオ)が加入。
このニュースは瞬く間にSNS「Weibo」のトレンド1位となり、中国で初めて話題入りしたロックバンドとなった。
再結成後に発表したシングル『Not My Time To Die』『太空浪子(宇宙の自由人)』は、
ジョイサイド復活の象徴的な作品となり、音楽スタイルもより多様で開放的な「ジョイサイド式ロマン・ロック」へと進化した。
2020年、人気音楽番組『バンドの夏(乐队的夏天)』第2シーズンに出演し、HOT5の好成績を収めた。
中でもmiumiuとコラボした『dong dong dong』はシーズンを代表するヒット曲となった。
これによりジョイサイドの人気は再び中国全土で爆発し、その後3年間で3度の全国ツアーを成功させ、各地の音楽フェスでも常連となった。
さらに新曲の多くが映画・ドラマのOSTとして採用され、「監督に最も愛されるバンド」と称されるようになった。
彼らの自由奔放で酒を愛する性格から、「酒神」「浪子」と呼ばれ、
その唯一無二のスタイルは中国の若者世代に大きな影響を与えた。
まさに21世紀初頭のロック伝説である。
2025年12月11日、ジョイサイドは東京で初の単独公演を開催。
下北沢「SHELTER」にて、20年前に北京で共演した日本のバンド「ロリータ18号」と再び同じステージに立つ。
さあ、酒神と浪子のロックの洗礼を受ける準備をしよう!
ボーカル:辺遠(ビエン・ユエン)
ギター:劉虹位(リウ・ホンウェイ)
ギター:于明垚(ユ・ミンヤオ)
ベース:劉昊(リウ・ハオ)
キーボード:陸成(ルー・チョン)
ドラム:関錚(グアン・ジョン)