袖触り合うのは、「多少」ではなく「多生」の縁だった事につい最近まで気が付かなかった。
「多生」とは、何度も生まれ変わることを指す言葉。つまりは、すれ違っただけのような見知らぬ人でさえ、少しは縁があるといった『多少は……』の意味ではなく、前世から縁があったような『しっかりと繋がりのある』人という意味なんだそうだ。
日頃から出会いを大切にしようと思いながら、何ということはなく緩やかに疎遠になったり、ふとしたきっかけで諍いが起きて断絶が起きたり、なかなか上手く行かない交友関係に気を揉んだりもするが、限られた人生という時間の中で、もっと新たに出会っていくためにはやはり別れも必要なのだ。
本作はそんなシンクロニシティについて描いた4本の短編からなるオムニバスで、前を向いて歩いて行こうとする人々の物語。
この前書きを読んで頂いている皆様とも、多生の縁があったことに感謝しつつ、劇場まで足をお運び頂けるような縁まで発展しましたら嬉しい限りです。どうぞご期待ください。