令和七年の七福神めぐりは、新宿山之手七福神です。新宿御苑駅から飯田橋駅まで約6.9㎞を歩く「新宿山之手七福神」。昭和初期に創設されたと伝えられています。新宿区内で完結する七福神めぐりです。小江戸川越、谷中、山手、隅田川、品川東海に続く、今年の新年恒例七福神めぐりにお参りしませんか。
▼▼▼ 【新年恒例】『令和七年新春!新宿山之手七福神めぐり』▼▼▼
【開催日】2025年1月3日(金)
【時間】10:00~14:00(予定) ※集合10:00
【コース】新宿山之手七福神めぐり
【集合】東京メトロ丸の内線 新宿御苑前駅
新宿門方面改札口内(改札の中で集合)
【解散】飯田橋駅周辺(14:00ごろ)
【参加費】1名 10,200円 ※税込み・小人同額
【お土産】『神楽坂梅花亭』の「干支(巳)最中」(2個)
【参加費支払】クレジットカードでの事前決済(VISA・MASTER・JCB)
【主催】大江戸歴史散策研究会
★★★ 令和七年新春!新宿山之手七福神めぐり2025 ★★★
新宿御苑前駅(集合)~太宗寺(布袋尊)〜稲荷鬼王神社(恵比寿神)~永福寺(福禄寿)~法善寺(寿老人)~厳嶋神社(弁財天)~天祖諏訪神社(福禄寿)~磐井神社(弁財天)(解散)
(1)【太宗寺(布袋尊)】
→寛永6年(1629年)、安房国勝山藩主の内藤正勝の葬儀を行ったことから内藤氏との縁が深まり、寛文8年(1668年)、正勝の長男重頼から寺地の寄進を受け、太宗を開山として太宗寺が創建されました。境内には江戸に入る6本の街道の入り口にそれぞれ安置された地蔵菩薩像(江戸六地蔵)の第三番(甲府道中)があります。また、閻魔像・奪衣婆像が安置され、江戸時代から庶民に信仰されてきました。他に新宿山ノ手七福神の一つである布袋尊像、額に銀製の三日月を戴く三日月不動像(像の上には天窓が設けられ、三日月に光が当たるようになっています)、真っ白に塩を被った姿が特徴の「塩かけ地蔵」などがあります。
(2)【稲荷鬼王神社(恵比寿神)】
→天保2年(1831年)、大久保村の氏神だった稲荷神と、熊野から勧請されていた鬼王権現を合祀し、稲荷鬼王神社となりました。熊野の鬼王権現は現存していないため、「鬼王」の名を持つ日本唯一の神社となっています。また、大祭で担がれる宮御輿は、鬼面が彫られた珍しいものです。平将門の幼名が、鬼王丸といったことから、名前を取ったという伝承もあります。江戸時代の造立とされる、しゃがんだ鬼の頭に、鬼より大きな手水鉢を乗せた姿をしている石造の水鉢があります。東大久保にあった二尊院の恵比寿像が、境内社・三島神社に祀られ、新宿山ノ手七福神の一つとされました。
(3)【永福寺(福禄寿)】
→慶安元年(1648年)、尊悦によって開山された曹洞宗の寺院。境内には、宝暦6年(1756年)建立の釈迦如来像と嘉永6年(1853年)建立の半跏趺坐像・地蔵菩薩像があります。ともに露座です。新宿山ノ手七福神の福禄寿をお祀りしています。
(4)【法善寺(寿老人)】
→鳥取藩第2代藩主池田綱清が大病を患った際、三澤寺の住職・日相に平癒祈願を依頼したところ、忽ちに癒えた事から深く帰依し、本堂・庫裡・七面堂を建立、寺領4町四方(48,000坪)を寄進したことに始まります。
後に池田綱清が大久保の鳥取藩抱屋敷付近に堂宇を建立、日相を開山に迎え春時山光清院と称し(後に法善寺と改称)、中正院日護の作と伝えられる七面大明神像を奉安しました。新宿山ノ手七福神の寿老人をお祀りしています。
(5)【厳嶋神社(弁財天)】
→1086年(応徳3年)、鎮守府将軍・源義家(八幡太郎)が、後三年の役(1083年~1087年)で、奥州平定に向かう途中、ここに宿営しました。この地はこの地域で最も高い場所であり、かつては富士山もよく見え、義家も遠く富士山を望み、さらにその先、安芸に鎮座する厳島神社に戦勝を祈願しました。
義家は、奥州平定を成し遂げ、その帰途、戦勝のお礼に、この地に神社を建立し、厳島神社を勧請したと伝えられます。
義家がこの地に立ち寄り、祈願して苦難を切り抜けたという伝説と、また境内参道が南北に通り抜けできることから「抜弁天」ともいわれ、江戸の六弁天に数えられます。
1番:江島杉山神社(墨田区千歳)
2番:東叡山寛永寺・不忍池弁天堂(台東区上野公園)
3番:洲崎神社(江東区木場)
4番:宝珠山冬木辯天堂(江東区冬木)
5番:厳島神社(新宿区余丁町)
6番:瀧河山松橋院金剛寺(北区滝野川)
(6)【経王寺(大黒天)】
→慶長3年(1598年)、日静を開山に、日蓮の高弟・日法作とされる大黒天像を身延山久遠寺から移して創建されました。大黒天は何度も火災に焼け残ったことから、火伏せの大黒天と呼ばれ信仰を集めました。
(7)【善国寺(毘沙門天)】
→安土桃山時代の文禄4年(1595年)、池上本門寺第12代貫主・日惺(にっせい)上人により、馬喰町に創建されました。たびたび火災に見舞われ、寛政5年(1793年)には現在地へ移転。本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれました。本堂の左右には、神社の狛犬のように、江戸時代後期に造られた阿吽一対の狛虎像が置かれています。
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大江戸歴史散策研究会 歴史ガイド:瓜生(ウリウ)
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