「粋なお江戸の坂の町・神楽坂」は、神社やお寺があり、文化の街として人気の観光地です。また一方で、石畳の路地やお店の雰囲気から「小さなパリ」と称されるおしゃれな街でもあります。今回、神楽坂の歴史と町並みを隅々までご紹介する裏路地さんぽを企画いたしました。19の坂道と19の横丁、3小路3社3寺3稲荷など、神楽坂の魅力をたっぷりとご案内します。
▼▼▼ 【大江戸歴史会員限定】 神楽坂裏路地さんぽ ▼▼▼
【開催日】5月4日(水・祝)
【時間】9:30~13:45(予定) ※集合 9:30
【コース】神楽坂コース(6.0km)
【集合】東京メトロ「神楽坂駅」 神楽坂方面改札 1a1b階段下
【解散】東京メトロ・JR「飯田橋駅」付近
【参加費】1名 6,600円 ※税込み・小人同額
【お土産】紀の善『抹茶ババロア』保冷バック付き
【昼食】花かぐら『花かぐら弁当』
【募集人数】15名 *定員になり次第締切ます
【参加費支払】クレジットカードでの事前決済(VISA・MASTER・JCB)
【諸注意】
・本企画は現地集合、現地解散となり、交通費は各自負担となります
・解散時間は若干遅れる場合がございます
・雨天決行(ただし荒天の場合中止)※中止の場合、参加費は返金されます。
・本企画にはガイド1名が同行します。
・お子様のご参加は少学生以上とさせて頂きます。
【主催】大江戸歴史散策研究会
「神楽坂裏路地さんぽ」
◆ウォークのコース見所(抜粋)◆
【赤城神社】→ 後伏見天皇の正安二年(1300年)に群馬県赤城山麓の大胡の豪族、大胡氏が牛込に移住の際、本國(上野国)の鎮守・赤城神社の分霊を、牛込早稲田にお祀りし、その後、弘治元年(1555年)に、大胡宮内少輔(牛込氏)が、現在の地に遷したものと伝えられています。牛込氏は徳川氏に仕え、旗本になりましたが、無嗣断絶により改易になりました。
【若宮八幡神社】→ 源頼朝が奥州の藤原泰衡を征伐する際、この場所で下馬宿願し奥州平治の後、鎌倉・鶴岡の若宮八幡宮を分社したものです。文明年間(1469~87)太田道灌によって再興されました。
【筑土八幡神社】→ 筑土八幡神社は、嵯峨天皇の時代(809年 - 823年)に、老人の夢に現われた八幡神のお告げにより祀ったのが起源。その後、伝教大師がこの地を訪れた時、これを聞いて、神像を彫刻して祠に祀り、その時に筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡神社と名づけられました。その後、今から約五百年前に江戸の開拓にあたった上杉朝興が社壇を修飾して、この地を産土(うぶすな)神とし、また江戸鎮護の神と仰ぎました。
【善國寺・毘沙門天】→ 毘沙門天善國寺は、桃山時代末の文禄4年(1595)に創設された寺です。
お寺の場所は変遷してして、寛政4年(1792)の火事により、この神楽坂へ移転しました。
【南蔵院】→ 天谷山竜福寺南蔵院と言います。真言宗豊山派寺院。牛込城主の牛込勝重が早稲田に創建。本堂には千手観世音菩薩が祀られて、本堂の隣には歓喜天堂には狛犬がお出迎えしてくれます。
【光照寺(牛込城跡)】→ 戦国時代この地域の領主であった牛込氏の居城があったところ。牛込氏は赤城山の麓上野国(群馬県)勢多郡大胡の領主大胡氏を祖とします。天文年間(1532~55年)に当主大胡重行が南関東に移り、北条氏の家臣となりました。天文24年(1555年)重行の子の勝行は姓を牛込氏と改め、赤坂、桜田、日比谷付近も含めて領有しましたが、天正18年(1590年)北条氏滅亡後は徳川家康に従い、牛込城は取り壊されました。光照寺は正保2年(1645年)に神田から移転。
【19の坂道】→ 赤城坂・瓢箪坂・駒坂・無名坂A・袖摺坂・弁天坂・朝日坂・クランク坂・地蔵坂・逢坂・新坂・庚嶺坂・無名坂B・軽子坂・芥坂・御殿坂・神楽坂・フランス坂・三年坂
【19の横丁】→ 銭湯横丁・新内横丁・成金横丁・寺内横丁・兵庫横丁・酔石横丁・三ツ又横丁・毘沙門横丁・から傘横丁・かくれんぼ横丁・見返し横丁・見返り横丁・材木横丁・和泉横丁・みちくさ横丁・鏡花横丁・小栗横丁・見番横丁・本多横丁
【3つの小路】→ ひぐらし小路・紅小路・神楽小路
【3つの神社】→ 赤城神社・若宮八幡神社・筑土八幡神社
【3つの寺院】→ 南蔵院・善国寺・光照寺
【3つの稲荷】→ 繁栄稲荷神社・出世稲荷神社・伏見火防稲荷神社
【歴史ガイド】瓜生(ウリウ)
【電話】090-2566-1948
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