▼▼▼お寺神社ウォーク~大江戸百社めぐり~池上本門寺コース▼▼▼
【開催日】3月3日(日)
【時間】10:00~15:00(予定) ※集合10:00
【コース】池上本門寺コース
【集合】東急池上線「池上駅」改札口(出口)
【解散】池上駅周辺
【参加費】1名 7,500円 ※税込み・小人同額(通常8,500円)
**霊宝殿入場料付き** 霊宝殿担当者解説あり
**昼食付き** 人形町今半・池上本門寺店(松涛園内ガーデンレストラン)
☆すき焼き弁当(特上)
**池上梅園入園券付き**
**お土産付き** 宝暦2年創業・浅野屋本舗
☆くず餅(1人前)
【募集人数】先着24名
【イベント条件・諸注意】
・解散時間は若干遅れる場合がございます
・本企画は現地集合、現地解散となり、交通費は各自負担となります
・雨天決行(ただし荒天の場合中止)※中止の場合、参加費は返金されます。
・本企画にはガイド1名が同行します。
・お子様のご参加は小学生以上とさせて頂きます。
【主催】大江戸歴史散策研究会
◆お寺神社ウォーク~大江戸百社めぐり〜池上本門寺コース◆
→池上本門寺は、日蓮大聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。
日蓮大聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。
長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。
(2)本行寺
→日蓮大聖人は、この池上宗仲公邸で療養につとめながら、小康時には弟子や信者に「立正安国論」の講義などをされていましたが、病がいよいよ重くなられ、6人の本弟子(日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持)に後を託し、13日辰の刻(午前8時)―。弟子や信者一同が静かに法華経を読誦する中、お亡くなりになられました。日蓮大聖人の滅後、池上宗仲公は日朗の弟子・日澄に館を寄進してお寺としました。こうして誕生したのが「長崇山 本行寺」(通称「大坊」)です。隣接する池上本門寺の末頭、理境院、照栄院と共に池上三院家の首席であり、正面の赤門はその証しとして、当寺院の格式の高さを示しています。
【昭栄院】
→本門寺役寺の三院の一つ。他に本行寺・理境院があります。昭栄院は日蓮大聖人の最高弟・日朗聖人が創建しました。日朗聖人はここ昭栄院で没しました。
【本門寺・総門】
→元禄年間の建立と伝えられています。「本門寺」と刻された扁額は本阿弥光悦が寄進したものです。オリジナルは霊宝殿に収蔵されています。
【理境院(りきょういん)】
→池上三院家のひとつ。朱色の門が残っています。
【此経難持坂(しきょうなんじざか)】
→1180年源頼朝により霞山桜田明神として、霞ヶ関桜田付近に鎮座しました。寛永元年(1624)には現在の場所に移されました。沖田総司がお宮参りした神社であり、沖田総司ゆかりの神社としても知られています。
【万両塚・鳥取藩池田家芳心院墓所】
→鳥取池田藩の初代藩主池田光仲の正室、芳心院様のお墓です。芳心院は徳川家康と側室お万の方の孫にあたり、紀州徳川家初代藩主頼宣の娘です。ここには古墳、弥生時代の塚跡もあります。
【本門寺・仁王門】
→昭和20年4月15日の空襲で焼失。三門は昭和52年に再建、仁王尊は昭和54年に新造されました。三門は山門とも称されるが、正式には三解脱門の略。
【五重塔】
→関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔。本塔の発願は、徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願にありました。文禄2年(1593)、15歳の秀忠公が悪性の疱瘡にかかり、一命も危うい容態におちいった時、熱心な法華信者であった乳母岡部の局(のち正心院)が、大奥より池上へ日参し、あつく帰依していた第12世日惺聖人に病気平癒の祈願を託され、「心願が成就したあかつきには御礼に仏塔を寄進する」との念でひたすら祈った。その甲斐あって快癒し、将軍となった後、その御礼と、あわせて武運長久を祈り、慶長12年(1607)に建立、翌13年に上棟式を行いました。
【経蔵】
→最初の経蔵がいつ建てられたかわかりません。宝永7年(1710)焼失、享保2年(1717)第24世日等聖人が徳川御三家水戸綱條公を大檀那に再建したと伝えられています。
【多宝塔】
→この地は、日蓮大聖人御入滅の折の御荼毘所です。当初、池上宗仲公が多宝塔を作り、大聖人の御余灰を中に盛って奉安したと伝えられています。その霊場に建てられた木造の多宝塔は、第47世日教聖人代の文政11年(1828)とされています。大型の木造多宝塔として、全国的にも類例の少ない極めて貴重な遺構です。
【池上梅園】
→当地は日本画家の伊東深水の自宅兼アトリエ(月山山荘)でしたが、戦災で焼失。戦後は拡張され築地の料亭の経営者の邸宅がありましたが、所有者の没後、庭園として残す事を条件に東京都に敷地を譲渡。1978年に大田区に移管されました。大田区は当庭園に区の花である梅の花の植林をするなど整備し、現在は370本(白梅150本、紅梅220)の梅の木が植えられ、名所となっています。
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大江戸歴史散策研究会
「お寺神社ウォーク~大江戸百社めぐり~」
歴史ガイド:瓜生(ウリウ)
【電話】050-3626-6622 【mail】uryu1023@gmail.com
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