歴史。そう聞いて何をイメージしますか?
年号でしょうか?人物や出来事でしょうか?
人によっては教室や受験勉強を思い出してしまいそうですね。
この講演はそういった学校にありがちな数字や記号の授業をする場ではありません。
では、なにをするのか。
それを知ってもらうために、2名の言葉を要約引用させていただこうと思います。
まず一人目は評論家E・H・カーです。彼はその著書『歴史とは何か』の中で
「約1世紀に渡り「本当の事実」という魔法の言葉を唱えながら進軍してきた。しかし、この呪文も大部分の呪文と同じように、自分で考えるという面倒な義務から歴史家を免がれさせるために作られたものだった。」
「(歴史的な事実について)いかなる事実、いかなる順序、いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家なのだ。」
岩波新書『歴史とは何か』2019年第90刷E.H. カー(著)清水幾太郎 (翻訳)
彼はここで歴史を記すという行為には必ず誰かの主観が入っているということを伝えています。
二人目は、田村由美の漫画『ミステリと言う勿れ』の中の言葉です。
「たとえばAとB二人がいたとしましょう。あるとき階段でぶつかってBが落ちて怪我をした。Bは日頃からAからいじめを受けていて、今回もわざと落とされたと主張する。ところがAはいじめている認識など全くなく、今回もただぶつかったといっている。どっちも嘘をついていません。この場合、真実ってなんですか?
そりゃAはいじめてないんだからBの思い込みだけで、ただぶつかって落ちた事故だろう。
そうですか?いじめてないというのはAが思ってるだけです。その点Bの思い込みと同じです。つまり、人は主観でしかものを見られない。」
「だから、戦争や紛争で敵同士でしたことされたことが食い違う。どちらもウソをついてなくても、話を盛ってなくても必ず食い違う。
真実は人の数だけあるんですよ。でも、事実は1つです。この場合は、AとBがぶつかってBが怪我をしたということです。」
「全員がウソ言ってなくても、食い違うことがある。」
小学館『ミステリと言う勿れ』2020年第13刷田村由美(著)
日本人であれば、ほとんどの人が長い学校教育を受けていますよね。日本の学校教育は、歴史のようなものでも、これが正しい、覚えなさい!という論調ばかりなので、それを丸々信じている人もたくさんいて、でも実際には今回の講演を聞いていただければ分かるように一般にあまり知られていない事実というのが多くあります。
この講演会はどちらが正しいということを伝えたいのではなく、多くの情報をできるだけニュートラルな立場で共有できる場を設けることで、各々が自分なりの真実を考える機会を持ってもらうための場となっています。貴重な機会を楽しんでもらえれば幸いです。
あなたが知る歴史も偏った主観から生み出されたものなのかもしれませんよ。