「三十三観音霊場めぐり」は、観音菩薩が三十三の姿に変化して私たちをすくってくださるという観音信仰によって、観音菩薩を安置する三十三の霊場巡りが作られたとされ、平安時代の末期に近畿地方を中心とする『西国三十三ヵ所札所』が定められたのが始まりだといわれます。鎌倉時代に入ってから、西国にならって鎌倉を起点とする『坂東三十三ヵ所札所』が定められました。その後、江戸時代に入ってから観音巡礼が庶民の間でも盛んに行われるようになり、各地で同じように三十三の札所が設けられるようになり、全国的に広まっていきました。鎌倉札所もその頃に設けられましたが、明治維新のときに廃寺や移転が多くあったため、新たに大正から昭和にかけて、現在の三十三ヵ所が定められ、『鎌倉三十三観音札所』となりました。
▼▼▼ 【大江戸歴史会員限定】鎌倉三十三観音霊場めぐり<第4回> ▼▼▼
【開催日】3月17日(日)
【時間】9:30~14:00(予定) ※集合9:00
【コース】鎌倉駅から光明寺(6.0km)
【集合】鎌倉駅改札前
【解散】「鎌倉駅」前
【参加費】1名 13,400円 ※税込み・小人同額
*拝観料:安養院(200円)
*御朱印:各500円(私が小津和紙の専用朱印紙を各お寺にお送りして、
事前にご用意していただきますので、書き置きとなります)
【昼食】日本料理 鯉之助 瓢箪弁当 *12:40〜14:00
【募集人数】15名(限定です) *定員になり次第締切ます
【参加費支払】クレジットカードでの事前決済(VISA・MASTER・JCB)
【諸注意】
・本企画は現地集合、現地解散となり、交通費は各自負担となります
・解散時間は若干遅れる場合がございます
・雨天決行(ただし荒天の場合中止)※中止の場合、参加費は返金されます。
・本企画にはガイド1名が同行します。
・お子様のご参加は少学生以上とさせて頂きます。
【主催】大江戸歴史散策研究会
鎌倉三十三観音霊場めぐり<第4回>
【延命寺】11番札所
北条時頼夫人が建てた。開山は浄土宗の高僧・専蓮社昌誉能公上人。運慶作と伝わる「地蔵菩薩像」は別名「身代わり地蔵」。本尊の木造阿弥陀如来像は円応寺の閻魔王像の余った木材で作られたことから「木あまりの像」、予定より早く完成したことから「日あまりの像」と呼ばれています。
【教恩寺】12番札所
山門の十六羅漢の彫刻が見事な教恩寺(時宗)は、開山が知阿上人、北条氏康が光明寺境内に建てたのが始まりとされ、延宝7年(1678)貴誉上人が現在の大町に移したとされます。本尊の阿弥陀如来は、運慶作と伝えられ、源頼朝が一ノ谷の戦いで捕らえられた平清盛の5男平重衡に与えたものと言われています。
【別願寺】13番札所
弘安5年(1282)、公忍上人が真言宗能成寺を時宗に帰依し、寺名も別願寺としたと伝えられます。室町時代には、鎌倉公方の代々の菩提寺で、足利氏が代々深く信仰しました。境内には、4代鎌倉公方の足利持氏の供養塔といわれる大きな石造の宝塔があります。本堂には、本尊の木造阿弥陀三尊像と魚籃観音像が安置されています。
【安養院】 3番札所
祇園山安養院田代寺。北条政子が源頼朝の菩提寺として長楽寺を建立しましたが、幕府滅亡とともに焼け落ちたため善導寺に移し、政子の法名である安養院を院号にしこれが寺名となりました。延宝8年(1680)再び全焼し、頼朝の家来田代信綱が建立した田代寺の観音堂を移し再建されました。本尊千手観音像です。境内には「日限地蔵」があります。1308年(徳治3年)の銘がある鎌倉最古の石塔といわれる宝篋印塔(国重文)があります。
【来迎寺】 14番札所
建久5年(1194)源頼朝が、三浦大介義明の菩提を弔うために建立した真言宗能蔵寺が始まりです。建武2年(1335)開山の音阿上人が時宗に帰依したため改宗し、来迎寺となりました。境内には、五輪塔墓があります。本尊は義明の守護仏といわれる阿弥陀三尊像で運慶の作とされています。
【向福寺】 15番札所
開山は一向上人。一向上人は、一遍上人と同じく鎌倉時代に諸国を遊行し、踊り念仏などで教えを広めました。本尊の木造阿弥陀三尊像は南北朝時代の作といわれています。
【九品寺】 16番札所
延元元年(1336)新田義貞が、北条方の大勢の戦死者を弔うために本陣跡地に建てました。開山は風航順西(浄土宗)。「内裏山」「九品寺」の文字は義貞の筆を写したもので、直筆と伝えられるものは本堂に保存されています。九品(くほん)とは、極楽浄土を願う人の生前の行いによって定められた「九種類の往生のありさま」のことで、上品(上生・中生・下生)、中品(上生・中生・下生)、下品(上生・中生・下生)のこと。
【補陀洛寺】 17番札所
養和元年(1181年)文覚(もんがく)上人を開山として、源頼朝の祈願所として建立されました。たびたび竜巻や火災にあったため別名「竜巻寺」とも呼ばれています。1185年平家滅亡の折、総大将平宗盛が最後まで持っていたと伝わる「平家の赤旗」が保管されています。本堂の不動明王像は高僧智証大師(円珍)作と伝わります。
【光明寺】 18番札所
寛元元年(1243)創建。第四代執権北条経時が然阿良忠を招いて開いた浄土宗の大本山。後花園天皇からは山門にある「天照山」の扁額を、後土御門天皇からは関東総本山の称号を受け勅願寺に定められました。鎌倉四大寺にも数えられます(他は建長寺・円覚寺・遊行寺)。お十夜法要が勅許されて以来、現在も盛大に営まれる。江戸時代には、徳川家康によって念仏信仰と仏教研鑽の根本道場として「関東十八檀林(徳川幕府が定めた僧侶の学問所)」が定められ、増上寺をはじめとする浄土宗十八ヶ寺が公式に認められ、光明寺もその一寺となりました。
【蓮乗院】 19番札所
光明寺山門右手に建ち、光明寺の僧坊であった蓮乗院は、当初は蓮乗寺と称していました。寛元元年(1243)、佐助ヶ谷にあった蓮華寺が材木座に移され光明寺となって以降、蓮乗院と改称しました。
【千手院】 20番札所
光明寺総門の左手に建ち、もとは光明寺の僧坊。この寺の歴史を語る文献等は関東大震災で失われ、創建年等不明。後に浄土宗の本尊である阿弥陀如来像を安置し、千手観音が人々に知られていたことから、千手院と改称しました。
【歴史ガイド】瓜生(ウリウ)
【電話】090-2566-1948
【mail】uryu1023@gmail.com