“ジャンルにこだわらない”にこだわって得た財産
■ライブハウスサイドがそういう考えにシフトすれば、いろんなジャンルの方がこぞって使ってくれるようになるものなんですか?
そうですね。そこは、こんなこと言うとカッコ悪いかもしれないんですが、僕は受け身でした。ここでやった人がまた誰かを呼んでくる。そういう感じです。今までずっと。だから、ここでやった人たちがまた誰かを呼んで……っていう流れの中で、僕は12、13年働いてきましたけど。時代によってブームも次々と生まれたんですね。でも、それはこっちがコントロールして仕掛けていったものじゃないですから。「使いたい」って言った人に貸していったら、結果的にそこから広がっていって。それがブームになっていったな、というのを後から振り返って思う感じですかね。
■例えば、チェルシーでブームになったものだと、過去にどんなものがありましたか?
色々ありましたけど分かりやすいところだと、ニコ動の“歌ってみた”のブームはあったなと思います。この規模の場所の中だと、早い時期からライブをやっていたと思います。あのシーンには閉鎖的なところがあるのかわかりませんが、最初はウチらクラスの規模の場所ではあんまライブとかやらなかったんですね。それを割と早い段階でやりだしたら、そういうイベントがどんどん増えていきましたね。
■アイドルをやりだしたのもその流れからですか?
ニコ動とつながりがあるのかどうかは分からないですけど。アイドルも、誰にでも貸していたら、いつの間にかアイドルがたくさんやるようになってたんです。世の中がアイドルに傾向していったのと同じように、ウチを使っていた業界の人たちもアイドルをやりだしたから「ちょっとここでやらせて」ってなっていったんだと思うんですけどね。
■ロックバンドとの対バンイベントでアイドルを出してみるというような催しをライブハウスがちらほら取り組み始める前から、チェルシーは最初からアイドル単体で。
いきなりやってましたからね(笑)。だから老舗のライブハウスだとアイドルはずっとやってなかったところも多いじゃないですか?
■老舗になればなるほど。
でも、その辺もウチは早い段階からアイドルに“NG”を出してない。そういうところがウチの強みかなと思いますね。
アドバイスできる引き出しは、
人よりは多いと思います
■ジャンルにこだわらないということにこだわることで、ブームの先取りができるようになっていったというのは面白いですね。
それも、あくまでも人が人を呼んで広がっていったものですけどね。
■真っ先にニコ動やアイドルをやるようになって、客層はガラッと変わりましたか?
客層は公演によってどんどん変わりますから。公演ごとに客層だけじゃなくて、出演者、周りのスタッフも含めて変わっていく。それが面白いですね。タイプが全然違うんで。ニコ動の公演だったらこういうタイプの人間がいっぱい来るとか、ビジュアル系公演だったらこういうタイプが多いとかあるんですよ。同じ200枚のチケットが売れてるとしても、相手に合わせてこっちもやり方を微妙に変えてます。例えば、ビジュアル系公演の時は入場順は超シビアとか。そこをちょっとでもいい加減なことをやると、すっごい怒られるんですよ。
■バンギャルのお客さんたちにですか?
ええ。それを失敗したとき、通りすがりに心をグサッと刺すようなことを言われて、何回も辛い思いしてるんで(笑)。
■ここも、ジャンルを制限しなかったことで、ジャンルごとに集まるお客さんたちのタイプやマナーや場内のノリを……。
分かってるし、経験してるというのがウチのスタッフの最大の強みだと思います。バンドとかその制作をやってる人たちは、狭いコミュニティーの中でしかやってないんですよ。だから、今でこそアイドルがビジネスになってきたからアレですけど。アイドルを始めた頃には、アイドルがチェキや握手会で稼いでいるというのはロックバンド界隈の人は誰も知らなかったと思います。それを早い段階で僕は知っていたので、バンドの子たちに「こういうのをバンドでやってみたら?」ってアドバイスしたこともあります。で、その逆パターンも然りで。どの人たちも“これからどうしたらいい?”というのを抱えてるんで、そういうときに「こういうことをやってる人もいますよ」とアドバイスできる。その引き出しは、人よりは多いと思いますね。