もしも「ライブハウスの似合う男」という総選挙があったなら、迷わずクハラカズユキに一票を投じたい。“下北沢CLUB QueのQueはクハラのキュウ”との伝説的な言い伝えもある。彼が在籍したバンド、THEE
MICHELLE GUN ELEPHANTは1990年代にライブハウス文化が一般的なものとして広まっていく上で起爆剤的な役割を果たしていた。THEE
MICHELLE GUN ELEPHANT解散後もThe Birthday、YOKOLOCO BAND、M.J.Qなどで全国各地のステージに立っている。アリーナ、ホールから地方の小さなライブハウスまで、変わらず地に足のついた音楽活動を展開しているところが素晴らしい。2011年3月に起こった東日本大震災から1週間というタイミングで、彼は新宿のライブハウス、レッドクロスで自ら緊急バンドを組んで、「緊急ナイト」というイベントをスタートさせていて、今も継続している。彼にとってライブハウスとはどんな空間なのか。「緊急ナイト」を立ち上げた経緯なども含めて聞いていく。
小6か中1で観た子供ばんど。
あの体験があったから、
今の自分がいると言っても過言ではない。
■クハラさんが初めて出演したライブハウスは北見のオニオンスタジオなんですか?
そうです。中学3年から高1に上がる春休みに、オニオンスタジオ、現オニオンホールにコピーバンドで自主ライブをやったのが最初だったと思います。その他には夕焼けまつりというライブハウスでやったりもしてました。
■当時はどんな曲をコピーしていたんですか?
もろにジャパニーズ・ヘビィメタルです。ジャパメタ(笑)。
■その時点でのライブハウスのイメージはどんな感じでしたか?
当時はライブハウスという認識はそんなになかったんですよ。未成年でしたし、今あるようなドリンク・システムもなかったですし。単純に“貸し小屋”みたいな感じ。それまで公民館でやっていたのが、ライブハウスっていう名前が付いているところに変わっただけという。なので、ライブハウスがどんなものなのか、よくわかってなかった。観る側としての印象のほうが強かったですね。
■当時、観て印象に残ったミュージシャンというと?
小6か中1で観た子供ばんどですね。“なんてかっちょいいんだろう!”って感動しました。あの体験があったから、今の自分がいると言っても過言ではないくらい。お客さんが10人くらいしかいなくて、子ども心ながら、こんなので大丈夫なのかな?って心配したんですが、次の年も来てくれて、すげえうれしかったのを覚えてますね。自分もこういうことをやりたいんだ、バンドを組んで、車に乗って、全国を回ってライブをやりたいんだって強い憧れを持ちました。
■ライブハウスという存在を明確に意識するようになったのは大学に入って上京してから?
そうだと思います。大学で音楽サークルに入って、定期演奏会みたいなので箱貸しで1日借りて、横浜のシェルガーデン、クラブ24、目黒のTHE LIVE
STATION でやったりしてましたね。THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(以下、ミッシェル)の前に組んでいたバンドでも横浜のビブレホールに出たり、本牧のアポロシアターに出たり。当時、アポロシアターは素人にも貸していたので、ガラガラのところでやりました。ほどなくてして21の時にミッシェルに入って、新宿JAM、高円寺20000V、下北沢屋根裏、三軒茶屋HEAVEN'S
DOORあたりに出るようになりました。
■当時と今とでライブハウスの雰囲気は違いますか?
現在と圧倒的に違っていたのはお客さんが座って観ていたことですね。まあ、僕がいたのが動員力のないバンドだったってこともありますが、当時、だいたいガラガラで、ステージの前が空いていて、みんな、壁伝いにコの字型になって、体育座りをして観ているという。ミッシェルでも最初の頃はそうでした。誰かひとりが立ってくれると、「あっ、お客さんが立った!」みたいな感じで喜んでいましたから。
■デビュー後のミッシェルのライブでの光景からは信じられないような気もしますが。
そもそもお客さんが満員の景色を観たのは
ミッシェルでデビューするちょっと前くらいからでした。
■ミッシェルの登場によって、オールスタンディング、ダイブ、モッシュなどがより広く浸透したのではと言われていますが、当時者としていかがですか?
いや多分、もっと前からあったんじゃないですか。僕らよりもはるか前からたくさんのミュージシャンがライブハウスを回っていたわけですし。みんなが立つようになったのは、オールスタンディングという言葉が使われるようになったことも関係あるんじゃないですかね。
いろいろな会場をやることで鍛えられました。
どっちもできるのは楽しいし、ありがたい。
■ライブハウスを長期に渡ってツアーで回るバンドはそんなにいなかったのではないかと思うのですが、全国各地のライブハウスを回って感じたことというと?
東京からバンドが来る日もあるけれど、普段は地元のバンドがやっている、みたいな感じで、土地土地の匂いを感じ取れるライブハウスが好きですよね。あと、歴史を感じられるところ。京都の磔磔に行くと、“ここで清志郎がやったんだな”って思うし、新宿アシベ(ホール・新宿ACB)に行くと、“スライダースがやってたんだな”って思うし。楽屋の壁に貼ってあるステッカーとか落書きを見て、いいなあって思ったり。今はさすがにあまり感じなくなりましたけど。
■今は逆に、“ここでミッシェルがやってたんだ”って若いバンドが喜んでいたりするんでしょうね。そういう音楽の歴史、繋がりを感じ取れるのって、いいですよね。
ロマンチックな感じがしますよね。自分もそういう中のひとりになれたらいいなあとは思っていました。
■ミッシェル解散後もいろんなバンドでたくさんのライブハウスを回られていますが、ライブハウスの景色として、変わったことはありますか?
ミッシェル解散して、ミチロウさん(遠藤ミチロウ)に声をかけていただいて、M.J.Qというユニットを組んだり、ニートビーツ(THE NEATBEATS)のサポートをやらせてもらったりしたことで、さらにそれまでに行ったことのないライブハウスで演奏する機会が増えたんですよ。すごい小さいところだったり、環境が劣悪だったりするところがまた面白いというか。M.J.Qで沖縄のある小屋に行ったときは、普通にレコーディングスタジオで使うオーディオ・スピーカーがモニターとして置いてあって、途中で電源が落ちて、自然にドラムソロになっちゃったりとか(笑)。あとはドラムがあるところから一番後ろのお客さんまでの距離が数メートルだったり。
■いろんな会場でやることによって、鍛えられたのでは?
鍛えられました。そこでやらなきゃいけないって腹をくくったら、あとはどう楽しんでやろうかってことですから。こちらも一応、プロの端くれとして、他の対バンの人よりちゃんとやらないとなっていうプレッシャーがあったり。会場によっても鍛えられるし、一緒に回っているミュージシャンによって、発想が鍛えられたりもしますし。
■ライブハウスの魅力はどういうところにありますか?
ともかくお客さんと近いこと。熱、汗、人のひしめく感じとか、そういう空気も好きですし。大きいところは大きいところの良さもありますし、ぜいたくなバンドマン人生を送らせてもらっていると思ってます。The
Birthdayで武道館をやらせてもらったり、普段はなかなか行けない街のすごく小さいところでもやらせてもらえたり。どっちもできるのは楽しいし、ありがたいですね。