渋谷、新宿、下北沢…。東京には数々の音楽的に重要な拠点が点在しています。そこには新旧のライブハウスや、レコード屋さん、カフェ、打ち上げ会場となる居酒屋など、たくさんのミュージシャンに愛されてきたスポットがあるはず。ということで、ミュージシャンに東京の「街」と、そこにある「音楽スポット」を紹介してもらいます。今回はサニーデイ・サービスとして新作『DANCE
TO YOU』をリリースする曽我部恵一さんが登場。レーベルであるROSE RECORDS、そして自身が経営するカフェ&レコードショップCity
Country Cityを下北沢に構える曽我部さんが、東京と下北沢に抱く思いとは?
東京発信のカルチャーの中で生きたかった
■曽我部さんは大学入学のタイミングで上京され、そこからずっと東京にお住まいですが、もとから東京に行こうと決めていたのでしょうか?
僕は香川県のすごい田舎に住んでいたので、中学や高校の頃からずっと「東京に行きたい」と思っていました。それこそレコード屋もないし、自然しかないようなところで、そういったカルチャーを好きな人も少なかったんですよね。僕は雑誌「宝島」とか読んでいたりと超サブカルキッズだったので、早く東京に行きたかったですね。その頃は香川県からすると、大阪はけっこう近いけど東京はかなり遠くてかなりハードルが高かったんですけど、早く東京の人になりたいと強く思っていました。
■大阪ではなく、あくまで東京だったんですね。
結局は東京発信の文化ばかり受けてたからだと思います。「宝島」、「ロッキング・オン」、「DOLL」、「ポパイ」とか、全部東京で作ってる雑誌でしたからね。観ていたテレビ番組もそう。糸井重里さんや坂本龍一さんといった東京文化人みたいな人に憧れていたので、そういう空気の中で生きたかったんです。
■音楽で食っていくために行くぜというよりは、文化全体を味わいたかった?
自分には何のスキルもないけど、そういう文化の中で何がしかをして生きていきたいという感じでしたね。で、漠然と思ってたのはミュージシャン。うちのベースの田中も、もともとは放送作家として食いたいと思っていたみたいだし。とにかく当時の自分たちが受けた東京のカルチャーのなかで、仕事をして生きていけたら最高と思っていましたし、それは今もそうですね。
ストリート発信のカルチャーが生まれた時代
■実際に東京に住んでみてどうでした?
最初はキラキラしたイメージを持ってたんですけど、住むと意外と地味な部分がほとんどで、氷山の一角だけが雑誌に載ってたんだと思いました(笑)人も地味だし。地味な人が9割で、変わった人がほんのわずかだけいるのが東京なんだなと分かって「ちょっと雲行きが怪しいな」と思いましたね(笑)
■思い描いていた東京とは違ったわけですね。
でも、そうした思い描いていたものとは違う部分からおもしろいものが出てきましたね。自分が知っていた糸井さんとか坂本龍一さん、鈴木慶一さん的なハイカルチャーではなく、もっとストリートレベルのもの。クラブなら小箱が流行り始めていたし、バンドだとフリッパーズ・ギターが終わったあとで、その周辺の人がおもしろいことを始めたり。そうしたストリートのカルチャーを享受するようになりました。世界中の中古レコード屋の何割かは渋谷にあると言われた、あちこちのビルにレコード屋さんが入っていたような時期ですね。
■サニーデイ・サービスも東京に来てから結成されたんですよね。
そうです。ほぼ初めて組んだバンドだったので、ライブのやり方もわからないし、練習の仕方もわからないし、どうやればライブに出られるかもわからなくて、本当に手探りで始めた感じですね。あとは大学で勉強もせずに街をぷらぷらしたり、レコード屋さん行ったり、映画を観たり。遊んでばっかりでお金も全然なくて、本当に大変だったので人からお金借りてました。で、お金があったら全部レコード買ってという、自堕落な生活を送ってましたね。本当に楽しかったですけど(笑)