下北沢のライブハウスで育ったミュージシャンがこぞって「すげぇお世話になりました」とその名を口にする、下北沢CLUB Queの二位徳裕さん。1994年のオープンから22年間、店長を務め、2016年、店長の肩書きを譲った。時代とともに下北沢カルチャー、音楽シーンを見つめてきた二位さんは、アーティストたちと共にどのように歩んでいったのか。下北沢ライブハウス・シーンの第一人者にして、「名誉店長!」と慕われ、「迷誉の方ね」と笑って返す二位さん。愛情に溢れる男が28年にわたって支えた“ライブハウス”、そのシーンを訊いた。
当時の下北沢はガラパゴス(笑)。
新宿・渋谷に行けない若者が集まって
独自の変化を遂げたんです。
■もう現在は“店長”という肩書きではないんですよね?
そうです。今年(2016年)、店長の座を明け渡しました。
■1994年のオープンから、ずっと店長だったということは……。
22年間ですね。こんなに長くひとりの人間が店長やってるのって都内のライブハウスでは珍しいんじゃないかな。ギネスに申請できないかな、と思ってるんですけど(笑)。
■その前に下北沢屋根裏の店長もされていたじゃないですか?
ええ。そっちは2年ですね。
■それも合わせると店長歴24年。さらにライブハウス勤務という意味では、もっと長くなるわけですよね?
屋根裏では店長になる前に2年働いたし、その前にインクスティックでも働いてたんですよ。
■芝浦の? ということは80年代ですよね?
はい。だから……合計28年以上もライブハウスで働いてるのか(笑)。
■CLUB Queの店長を別の方に任せようと思われたのは、どういった理由なんでしょうか?
単純な話なんです。もう今となっては“店長”という肩書きがあろうがなかろうが、やることは変わらないっていうか。店長じゃなくなったとしても仕事の内容だとか接する人だとかに差はない。だったら“店長”という言葉を、もっと有効に使える人が、その肩書きを持ってるほうがいいな、と思って。それで自分よりも若い人間に店長をやってもらうことにしたんですよ。バンドだけじゃなくて、ライブハウスのスタッフを育みたい、という気持ちも沸いてきましたし。
■なるほど。それでは、まずCLUB Queがオープンした1994年頃のお話を聞かせて下さい。立ち上げ当時は、どんなヴィジョンをお持ちだったんですか?
今の経歴の話と繋がるんですが。オープン当時に考えてたのは下北沢屋根裏とインクスティックの、ちょうど中間ぐらいのライブハウスを作りたいなっていうことだったんです。屋根裏という、がさつな空間。インクスティックという、ちょっと洒落た空間。両方を経験したから、それぞれのいいところをうまく組み合わせられないかなって考えてました。屋根裏のエネルギッシュな部分を参考にしつつも、より普通の人でも足を運びやすいような、というかね。そういうライブハウスを目指して作ったのがQueなんです。
■だからQueって、あの当時のライブハウスにしては……。
ちょっと小洒落たようなところがあったでしょ?(笑)。チラシが乱雑にベタベタ貼ってないとか。フロアにスタンディング用のテーブルを置いたりとか。トイレが汚くないとかね。