選定基準は、
*原則として建築後50年を経過していること
*東京の景観づくりにおいて重要なものであること
*できるだけ建築当時の状態で保存されていること
*外観が容易に確認できること
そこで、99件の建造物を23コースに分けて、ご紹介します。
▼▼▼ 『東京都選定歴史的建造物をめぐる』 ▼▼▼
【開催日】12月22日(日)
【時間】9:30~14:00(予定) ※集合9:30
【コース】上野コース
【集合】JR「上野駅 」公園口改札前
【解散】「谷中」周辺
【参加費】1名 7,200円 ※税込み・小人同額
*朝倉彫塑館の入館料(500円)含む
【昼食】「吉里 谷中総本店」松花堂弁当
【募集人数】10名 *定員になり次第締切ます
【参加費支払】クレジットカードでの事前決済(VISA・MASTER・JCB)
【諸注意】
・本企画は現地集合、現地解散となり、交通費は各自負担となります
・解散時間は若干遅れる場合がございます
・雨天決行(ただし荒天の場合中止)※中止の場合、参加費は返金されます。
・本企画にはガイド1名が同行します。
・お子様のご参加は小学生以上とさせて頂きます。
【主催】大江戸歴史散策研究会
◆ 第3回『東京都選定歴史的建造物をめぐる』上野コース ◆
(89)【旧博物館動物園駅駅舎】
設計:中川俊二 昭和8年(1933年)竣工
国会議事堂中央部分のような西洋様式の外観が特徴で、国会議事堂よりも建築時期は古く、営業休止時まで供用されていた。駅舎のレリーフは黒田記念館と同じものが使用されています。
(19)【国立国会図書館国際子ども図書館】
設計:久留正道・真水英夫 明治39年(1906年)竣工
設計:坂本勝比古 昭和4年(1929年)増築・復元
設計:安藤忠雄 平成14年(2002年)保存
旧帝国図書館は、ルネサンス様式を取り入れた明治期洋風建築の代表作。旧帝国図書館は1906年竣工の第一期工事と1929年竣工の第二期の二次にわたって建設され、構造は第一期が鉄骨補強煉瓦造り、第二期増築部分が鉄筋コンクリート。
国際子ども図書館に転用されるにあたり、安藤忠雄と日建設計により設計。。改修においては歴史的建造物の保存と再生、現代の施設としての活用が掲げられ、外装、内装は旧態を残すよう極力保全するとともに、徹底的に補修、復元を施しました。
(67)【東京藝術大学赤レンガ1号館】
設計:林忠恕(ひろ) 明治13年(1880年)竣工
林忠恕(ひろ)は、明治時代初期の中央官公庁営繕を主導しました。
東京都内で最古のレンガ建築と言われる東京芸術大学赤レンガ1号・2号館。
1号館は教育博物館の書庫として建てられたもので、書籍庫として耐火を重視し、すべての開口部に鉄扉を付設するなどの不燃性を重視したつくりが幸いし、今も現存しています。赤レンガ1号館は2号館と共に東京美術学校へ移管された後、関東大震災で被害を受けつつ、文庫の書庫から藝大附属図書館書庫、電話交換所、教室など模様替えをされながら様々な利用がされてきました。
(68)【東京藝術大学赤レンガ2号館】
設計:小島憲之 明治19年(1886年)竣工
小島憲之は、アメリカに留学してコーネル大学建築学部を卒業後、東大や芸大で、夏目漱石、伊東忠太に英語を教えました。
2号館は湯島にあった旧東京図書館書籍閲覧所の書庫として建てられた、洋小屋形式の木造屋根を持つレンガ造り建築です。長い年月と共に風化しつつ、周りの緑と溶け込んでいる素朴な味わいの赤煉瓦造り2階建て。
(69)【東京藝術大学陳列館】
設計:岡田信一郎 昭和4年(1929年)竣工
岡田信一郎の作品:日本銀行小樽支店、鳩山会館、鎌倉国宝館、黒田記念館、明治生命館、琵琶湖ホテル。大学美術館の本館ができるまでは、 芸術資料館のメイン・ギャラリーとして使われた展示室です。 外壁に貼り付けられた赤いスクラッチタイルは、芸大の中でも少なくなってしまいました。 1階は窓のある空間、2階はトップライトを生かした、高い天井を持つ空間で、 それぞれの展示室の個性が際立っています。
(70)【東京藝術大学正木記念館】
設計:金澤庸治 昭和10年(1935年)竣工
岡田信一郎の弟子で黒田記念館、明治生命館の装飾を担当。
東京美術学校第5代校長正木直彦の長年にわたる功労(校長32年間在任、帝国美術院院長、各博覧会審査官など)を記念するため建設されました。近世和風様式の鉄筋コンクリート造。2階は正木校長の希望で、日本美術を陳列するため書院造の和室が設けられました。
(71)【東京藝術大学・旧東京美術学校玄関】
設計:文部省建築課(鳥海他郎)・大澤三之助・古宇田實 大正2年(1913年)竣工
震災と戦災をまぬがれてきた東京美術学校時代からの玄関。昭和47年(1972年)の学校本館取り壊しの際、玄関部分のみ正木記念館中庭に移築。
(13)【上田邸(旧忍旅館)】
設計:不詳 昭和4年(1929年)竣工
花園町(現・池之端)の「白鷺城」と親しまれ、建築当時はこのような洋館は珍しく、見学者が絶えなかったといわれています。
木造で、モルタルに目地を切って石壁風に見せた外壁。窓上部などに共通のデザインの一方、窓のつけ方やイオニア式をはじめとする柱は各層独自のデザインが取り入れられた外観。1階から3階の各層が階段状にセットバックしていることで、3階の上に尖塔が乗っていても、威圧感がないことも特徴。
(83)【根津二丁目の蔵】
設計:不詳 明治43年(1910年)竣工
明治時代に建てられた旧田嶋邸宅にあった蔵を移築改修。邸宅跡に建てられた介護付有料老人ホームは隈研吾設計。
◇(42)【旧東京帝室博物館本館(東京国立博物館)】
設計:宮内省内匠寮(渡辺仁案採用) 昭和12年(1937年)竣工
設計は、懸賞募集の一等当選案(渡辺仁案)を原案とし、宮内省内匠寮が実施にあたりました。平面は中庭をふたつ設けた日の字型平面で、正面中央前方に車寄を張り出す。鉄骨鉄筋コンクリート造。和風を基調とした大建築で、意匠的に完成度が高く、昭和初期の日本の近代建築の到達点を示す作品のひとつ。博物館建築としての採光、空気調和等の設備面において、当時最新の技術水準が示されている点にも歴史的意義が認められます。
◇(68)【旧朝倉文夫氏庭園(朝倉彫塑館)】
設計:朝倉文夫 昭和10年(1935年)竣工
日本の近代彫塑界の巨匠である朝倉文夫(1883〜1964)は、明治40年(1907)に東京谷中にアトリエを兼ねた邸宅を構え、亡くなるまで自らの創作活動と後身指導の場として使い続けました。文夫は、アトリエを含む居宅の建築及びその後の増改築においても、「庭」との一体感に配慮した独特の空間意匠と造形を追求した。
中庭は一群の建築に囲まれた南北約10m、東西約14mの狭隘な空間の大半を水面が占め、水面の随所に配された多彩な景石が創り上げる密度の濃い水景は圧巻。
新アトリエ棟の屋上菜園は、昭和初期に遡る鉄筋コンクリート建築の屋上庭園の事例として貴重。
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大江戸歴史散策研究会 歴史ガイド:瓜生(ウリウ)
【電話】050-3626-6622 【mail】uryu1023@gmail.com
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