選定基準は、
*原則として建築後50年を経過していること
*東京の景観づくりにおいて重要なものであること
*できるだけ建築当時の状態で保存されていること
*外観が容易に確認できること
そこで、99件の建造物を23コースに分けて、ご紹介します。
▼▼▼ 『東京都選定歴史的建造物をめぐる』 ▼▼▼
【開催日】11月16日(土)
【時間】9:30~12:30(予定) ※集合9:30
【コース】銀座・築地コース
【集合】東京メトロ銀座線「虎ノ門駅 」出口2aの階段下
*渋谷行き電車の先頭改札口
【解散】「御茶ノ水」周辺
【参加費】1名 3,600円 ※税込み・小人同額
【募集人数】10名 *定員になり次第締切ます
【参加費支払】クレジットカードでの事前決済(VISA・MASTER・JCB)
【諸注意】
・本企画は現地集合、現地解散となり、交通費は各自負担となります
・解散時間は若干遅れる場合がございます
・雨天決行(ただし荒天の場合中止)※中止の場合、参加費は返金されます。
・本企画にはガイド1名が同行します。
・お子様のご参加は小学生以上とさせて頂きます。
【主催】大江戸歴史散策研究会
◆ 第3回『東京都選定歴史的建造物をめぐる』日比谷・神田コース ◆
(34)【虎ノ門金刀比羅宮】
設計:伊東忠太 昭和26年(1951年)竣工
延宝7年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(讃岐国丸亀藩上屋敷)に遷座しました。江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り上屋敷藩邸内を一般庶民に開き、参拝を許可しました。戦災により焼失しましたが、昭和26年(1951年)に拝殿と幣殿が再建。ともに総尾州檜造り、銅板葺きの権現造りです。伊東忠太の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられています。
(49)【DNタワー(旧第一生命館)】
設計:渡辺仁、松本与作 昭和13年(1938年)竣工
この地は、かつて日比谷入江を形成していたところにある軟弱な地盤だったことから、100尺(30メートル)の深さまでボーリングが行われた結果、70尺(21メートル)以下に丈夫な岩盤があることが確認されました。設計当初皇居周りの美観地区であることからギリシア風の円柱が立ち並ぶ意匠も立案されたものの、結局方柱が立ち並ぶものとなりました。太平洋戦争中は陸軍により、屋上に高射砲陣地が設置。終戦後は占領軍に接収され、1952年(昭和27年)7月に返還されるまで、連合国最高司令官総司令部として使用されていました。
(30)【いせ源本館】
設計:不詳 昭和7年(1932年)竣工
木造3階建て。「あんこう料理」、入母屋造りと2階の欄干に施された、菱形模様の彫が特徴。木製の看板は建築当時から使用(平成8年補修済)しているものです。
(31)【神田まつや】
設計:不詳 大正14年(1925年)竣工
1884年(明治17年)、初代・福島市蔵が現在地に創業、その後福島家が二代続く。1925年(大正14年)、関東大震災の後に福島家から小高家に受継がれ、初代・小高政吉が継承。現在の建物はこのときに建造されたもの。左右の出入り口の上部に、松模様の欄間飾りが施されています。食通としても知られる小説家の池波正太郎がひいきにした店。
(32)【ぼたん】
設計:不詳 昭和4年(1929年)竣工
玄関の格式高い式台が通りすがりに見えます。入母屋造りで、一部改修されていますが建設当時の界わいの雰囲気をよく伝えています。1897年(明治30年)頃、現在地に鳥すきの専門店として創業。
(34)【竹むら】
設計:不詳 昭和5年(1930年)竣工
入母屋造り。2階の欄干に竹と梅模様が彫られ、軒下に木製の提灯が下げられていて、その提灯には「竹邑」の表見も見られます。外観は屋根と庇で4層に見えます。甘味処、和菓子店。揚げ饅頭が有名。
(91)【万世橋】
設計:東京市土木局 昭和5年(1930年)竣工
関東大震災後の帝都復興事業に指定され、東京地下鉄道の渡河工事に伴う水路変更の必要もあって、いったん東側下流の木製仮橋に移転した後、1930年(昭和5年)に長さ26m、幅36m、石及びコンクリート混成の現在のアーチ橋に架け替えられました。欄干袂の機械室と船着場は、地下鉄建設時の経緯によるものです。
◇(53)【日比谷公園】
本多静六(総括)、本郷高徳、福羽逸人(花壇) 明治36年(1903年)開園
公園としては日本初の近代的洋風公園。元々日比谷入江だったため地盤が悪く、大掛かりな建物の建設には不向きと判断され、公園地としての利用が決定し、明治26年(1893年)から辰野金吾、長岡安平など、再三の設計案が出されましたが、採用されず、辰野金吾により本多静六が推挙され、ドイツ留学を終えたばかりの本多を中心として立案することとなり、明治36年(1903年)開園されました。
◇(45)【東京駅丸の内本屋】
設計:辰野金吾 大正3年(1914年)竣工
明治41年(1908年)3月に着工し、大正3年(1914年)12月に開業した日本の玄関口、東京駅。昭和20年(1945年)、戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失。戦後、3階建ての駅舎を2階建て駅舎に修復して復興。平成24年(2012年)、国指定重要文化財である丸の内駅舎は創建当時の3階建てに復原されました。
◇(2)【市政会館・日比谷公会堂】
設計:佐藤功一 昭和4年(1929年)竣工
安田善次郎から後藤新平に贈られた寄付を基に1922年に設立された「東京市政調査会」は、市政会館建設に着手。工学博士佐藤功一(早稲田大学大隈講堂などを設計)の案を基礎として設計することになりました。昭和4年(1929年)、日比谷公園の南東の一角に日比谷公会堂とともに誕生。塔時計と茶褐色のタイル張りの外壁をもつクラシックな建物は、日比谷のシンボルとして親しまれています。
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大江戸歴史散策研究会 歴史ガイド:瓜生(ウリウ)
【電話】050-3626-6622 【mail】uryu1023@gmail.com
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