▼▼▼ 【大江戸歴史会員限定】 大江戸お寺神社ウォーク ▼▼▼
【開催日】6月15日(土)
【時間】9:30~12:30(予定) ※集合9:30
【コース】下谷・浅草橋コース
【集合】東京メトロ「稲荷町駅 」出口3の階段上
【解散】JR「浅草橋駅」周辺
【参加費】1名 7,800円 ※税込み・小人同額
【昼 食】ベルモントホテル『ステーキハウス柳鳳』
<国産牛サーロインステーキランチ>
◉ミニサラダ◉焼き野菜2種ともやし炒め◉厳選国産牛サーロイン100g
◉白飯orガーリックライス、味噌汁、香の物2種◉ミニデザート◉コーヒーor紅茶
【募集人数】11名限定 *定員になり次第締切ます
【参加費支払】クレジットカードでの事前決済(VISA・MASTER・JCB)
【諸注意】
・本企画は現地集合、現地解散となり、交通費は各自負担となります
・解散時間は若干遅れる場合がございます
・雨天決行(ただし荒天の場合中止)※中止の場合、参加費は返金されます。
・本企画にはガイド1名が同行します。
・お子様のご参加は小学生以上とさせて頂きます。
【主催】大江戸歴史散策研究会
◆『大江戸お寺神社ウォーク』下谷・浅草橋コース◆
(1)【下谷神社】
→古くは下谷稲荷社、下谷稲荷明神社と呼ばれた都内最古の稲荷神社。稲荷町駅に名を残す旧町名の稲荷町は、この神社の旧称が由来の町名なのです。社殿の天井画は横山大観の作。また、1798年に初代・三笑亭可楽によって当社境内で初めて寄席が開かれました。このため、本神社には「寄席発祥の地」の石碑があります。
(2)【源空寺】
→浄土宗の僧が天正18年1590年に湯島に草庵を結んだのが始まりです。これに帰依した徳川家康が、慶長9年1604年に寺領と堂宇と、源空寺という号を与えました。墓地には『大日本沿海輿地全図』の伊能忠敬、『寛政暦』の髙橋至時、日本の侠客の元祖・幡随院長兵衛、江戸時代後期の大家・谷文晁の墓があります。
(3)【東本願寺】
→慶安4年1651年、東本願寺第12世教如が、神田に江戸御坊・光瑞寺を建立したのが始まりとされています。その後、京都の東本願寺の別院となりました。明暦3年1657年、明暦の大火によって焼失し、浅草に移転してきました。「浅草本願寺」・「浅草門跡」と呼ばれるようになり、21の支院と35の塔頭を抱え、境内は1万5000坪に及びました。
(4)【蔵前神社】
→蔵前神社は、徳川第5代将軍綱吉が元禄6年(1693年)8月5日、山城國の石清水八幡宮を当地に勧請したのが始まりです。正式な社号は『石清水八幡宮』ですが、一般には『藏前八幡』または『東石清水宮』と呼ばれていました。
(5)【鳥越神社】
→651年、白鳥村の村民が日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まりとされています。1062年の前九年の役のおり、源義家がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたと伝えられています。
(6)【榊神社】
→創建は景行天皇の時代である110年、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東夷征伐の折に創祀したのが始まりと伝えられています。古来より「第六天神宮」と称され、人々から厚く信仰されていました。明治6年に社名を榊神社と改称しています。
【永昌寺】
永昌寺は、永禄元年1558年に浅草の下谷に下谷長者が開創した寺です。明治15(1882年)に嘉納治五郎がこの寺院の境内に柔道場「講道館」を設立しました。
【葛飾北斎の墓】
葛飾北斎のお墓は誓教寺にあります。お墓には「画狂老人卍墓」という何とも意味深な文字が刻まれています。お墓に刻まれている「画狂老人卍」は、晩年に葛飾北斎が名乗っていたペンネームで、実際の書物にもいくつか記されています。ペンネームの総数は30個とも言われてます。
【矢先稲荷神社】
創健は、寛永19年(1642年)、三代将軍家光三十九歳の時です。武術興隆の目的で京都三十三間堂と同じものを浅草の今の地に建てました。その鎮守社として稲荷神社が建てられました。「矢先」の由来は、堂の廊下で「通し矢」が行われ、的先にあった神社で「矢先」と呼ばれました。
【合羽橋道具街】
文化年間(1804年〜1818年)にこの地で掘割整備を行った合羽屋喜八が、合羽橋の名前の由来の一つとされています。道具街の起源は、大正元年1912年頃に数軒の古道具商が店を構えたこととされています。
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大江戸歴史散策研究会 歴史ガイド:瓜生(ウリウ)
【電話】050-3626-6622 【mail】uryu1023@gmail.com
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