▼▼▼ 【大江戸歴史会員限定】 大江戸お寺神社ウォーク▼▼▼
【開催日】11月3日(金・祝)
【時間】9:30~12:30(予定) ※集合9:30
【コース】池上本門寺コース
【集合】東急池上線「池上駅」改札口(出口)
*改札口は一つだけです
【解散】池上駅周辺
【お土産】池上本門寺門前煎餅『寶屋』井桁煎餅
【参加費】1名 4,400円 ※税込み・小人同額
*宝物殿拝観料(300円)付き
【募集人数】先着16名
【イベント条件・諸注意】
・解散時間は若干遅れる場合がございます
・本企画は現地集合、現地解散となり、交通費は各自負担となります
・雨天決行(ただし荒天の場合中止)※中止の場合、参加費は返金されます。
・本企画にはガイド1名が同行します。
・お子様のご参加は小学生以上とさせて頂きます。
【主催】大江戸歴史散策研究会
◆『大江戸お寺神社ウォーク』池上本門寺コース◆
(1)【本門寺】
→池上本門寺は、日蓮大聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。
日蓮大聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かう、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲の館で亡くなりました。
長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けたものです。そして大檀越の池上宗仲が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進し、寺の礎を築き、以来「池上本門寺」と呼ばれています。
(2)本行寺
→日蓮大聖人は、この池上宗仲公邸で療養しながら、小康時には弟子や信者に「立正安国論」の講義などをしてましたが、6人の本弟子(日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持)に後を託し、13日の辰の刻(午前8時)―。弟子や信者一同が静かに法華経を読誦する中、亡くなりました。日蓮大聖人の滅後、池上宗仲は日朗の弟子・日澄に館を寄進して寺としました。こうして誕生したのが「長崇山 本行寺」(通称「大坊」)です。隣接する池上本門寺の末頭、理境院、照栄院と共に池上三院家の首席であり、正面の赤門はその証しとして、当寺院の格式の高さを示しています。
【本門寺・総門】
→元禄年間の建立と伝えられています。「本門寺」と刻された扁額は本阿弥光悦が寄進したものです。オリジナルは霊宝殿に収蔵されています。
【理境院(りきょういん)】
→池上三院家のひとつ。朱色の門が残っています。
【此経難持坂(しきょうなんじざか)】
→池上本門寺の表参道九十六段の石段坂。石段は、慶長年間(1596年〜1615年)に加藤清正が寄進したものと伝えられています。『法華経』宝塔品(ぼん)の偈文(げぶん)九十六文字にちなんで石段を九十六段とし、偈文の文頭の文字をとって坂名としたものです。
【万両塚・鳥取藩池田家芳心院墓所】
→鳥取池田藩の初代藩主池田光仲の正室・芳心院のお墓です。芳心院は徳川家康と側室お万の方の孫にあたり、紀州徳川家初代藩主頼宣の娘です。ここには古墳、弥生時代の塚跡もあります。
【本門寺・仁王門】
→昭和20年4月15日の空襲で焼失。三門は昭和52年に再建、仁王尊は昭和54年に新造。三門は山門とも称されるが、正式には三解脱門の略。
【五重塔】
→関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔。本塔の発願は、徳川2代将軍秀忠の病気平癒祈願にありました。文禄2年(1593)、15歳の秀忠が悪性の疱瘡にかかり、一命も危うい容態におちいった時、熱心な法華信者であった乳母の岡部の局(のち正心院)が、大奥より池上へ日参し、あつく帰依していた第12世日惺聖人に病気平癒の祈願を託され、「心願が成就したあかつきには御礼に仏塔を寄進する」との念でひたすら祈りました。その甲斐あって快癒し、将軍となった後、その御礼と武運長久を祈り、慶長12年(1607)に建立、翌13年に上棟式を行いました。
【経蔵】
→最初の経蔵がいつ建てられたかわかりません。宝永7年(1710)焼失、享保2年(1717)第24世日等聖人が徳川御三家水戸綱條を大檀那に再建したと伝えられています。
【霊宝殿】
→霊宝殿は、池上本門寺に伝わる寺宝を保存し、展示公開する施設です。池上本門寺が開創されてから現在まで、約730年余りの間、伝えてきた文化遺産であり、日蓮聖人の大曼荼羅本尊や御消息をはじめ、歴代聖人の大曼荼羅本尊など、池上本門寺の歴史を物語る大切なものです。
【多宝塔】
→この地は、日蓮大聖人御入滅の折の御荼毘所です。当初、池上宗仲が多宝塔を作り、大聖人の御余灰を中に盛って奉安したと伝えられています。その霊場に建てられた木造の多宝塔は、第47世日教聖人代の文政11年(1828)とされています。大型の木造多宝塔として、全国的にも類例の少ない極めて貴重な遺構です。